今を楽しむ悠々ライフへようこそ

毎日の感謝を伝えるブログでございます。

感謝できるしあわせ
このブログでは、日々感じた感謝の気持ちを綴って参ります。
あんなこと、こんなこと、どうでもいいことでも、見方を変えれば感謝に変わる
今後もりゅうげつ庵ブログ「今を楽しむ悠々ライフ」をよろしくお願いいたします。


悩めることは良いことだ? だって、選択肢があるのだから・・・。

人間、生きていると様々な悩みが湧き出てくるものです。

お金の問題やら、対人関係、子供や親兄弟などなど。

僕も、幼い頃から悩みの種の尽きない人間の一人でした。


まあ、考えすぎるからこそ

「悩みの種が芽を出す」

のですね。



癖になっていたんでしょうね、

「悩まないと悩みが解決しない!」って

頭のどこかで思っておりました。


悩みの元を辿っていきますと、

自分の「自我」に辿り着くんですね。



幼い頃、二等分されたケーキを

「お兄ちゃんの方が大きい!」

「いや、お前の方が大きい!」

って、ケンカしたのも、

「自分がより多くの物を得たい」

という欲望が原因。


人間関係にせよ、お金の問題にせよ、

またまた、政治の世界の権力争いにせよ、

元を正せば、この

「自分がより多くの物を得たい」

という欲望が根っこにある・・・、わけです。



この「物」が結構重要でありまして、

人によっては

「恋愛の相手」であったり

「より多くのお金」であったりするわけです。



子供の頃のケーキの話ですが、

結局、大きい方を取るか取らないかは自分が選択できるんです。

と、申しましょうか、

「取る取らないを選択せざるを得ない・・・。」


ここがポイントです。


強いお兄ちゃんに打ち勝って強引に大きい方を手に入れることも出来るし、

口で言い負かして手に入れることも出来る。

はたまた、泣いて駄々をこねるという事も出来る。

諦めて嫌々手を引くことも出来るんです。


つまり、どんな出来事が起ころうと、

「どうするかの選択は、自分自身が決断を下している。」

っていうこと。



で、「決断を下せる」

っていうことは、

「決断を下せる状況にある」

っていうことにもなります。


怖い話になりますが、

いきなり頭に銃を突きつけられて引き金を引かれたら・・・。

逃げるとか、死にたい・生きたいとか、

死ぬまでに食べたかったお寿司を食べたいとか、

そういう選択肢は無いわけです。


それらを考えますと、

「就職が決まらない・・・。」

「素敵な恋愛の相手が見つからない・・・。」

「上司がパワハラばかりで退職したい・・・。」

などなど、これらの悩みを突き詰めたら、

「どうするか」という選択するまでの時間はあるのです。


就職が決まらなかったら
アルバイトで食いつなぐ。失業保険をもらう。ニートになる。などなど。


恋愛の相手が見つからなかったら
恋愛相談所に通う。ナンパする。友達に片っ端から紹介してもらう。などなど。

上司が嫌なら、
会社を辞める。部署異動を申し出る。上司とケンカする。などなど。



人間、悩めば悩むほどに選択肢が無いように思い込んでしまうものですが、

いやいや、逆に多くの選択肢があるものです。

でも、一番厄介なのが、

「その選択を怖がっている自分がいる」

という「恐れ」が問題なんですね。


まあ、ベストな選択をしたいからこそ悩みは尽きない・・・。


そう、悩みは尽きないのだけれど・・・。

いくら大きい方のケーキを逃したところで、

明日の、そして明後日のおやつの時間は来る。


悩みをひとつの「選択ゲーム」と捉えて、

気軽に取り組めるようになるとまた、

人生に味わいが出る、そのように思います。







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生き急がない!一休み、ひとやすみ・・・。

僕は「待つこと」が大の苦手。

これは幼い頃、散々耐え忍んだから、だと大人になって理解しました。

「ん?じゃあ、耐え忍んだから待てるんじゃないの?」

って声が聞こえてきそうですが、

実は、耐え忍んでも耐え忍んでも

良い方向へと人生が向かわなかったから「待てない」んです。


幼い頃に母と別れて以来、ず~と母と出逢える日を待ち望んでおりました。

しかしそれは小学校高学年のころに「叶わぬ夢」と化したのです。
(大人の事情を知ったわけです)

それが原因かどうかは定かではありませんが、僕の心のどこかに

「頑張って耐えても無駄」

「耐えたところで思いは叶わない」

という刷り込みが生じてしまったのです。


よく「思い立ったら即動け!」と促される自己啓発があります。

あれは正直言って「心がポジティブなとき」にしか効果はありません。


まあ、心がどん底に落ち込んで、高い崖の上に立って

今にも飛び降りようとしている人に対して

「即動け!」と促すのは・・・・。

言わずとも分かると思います。


逆に、目の前に百万円の札束があって、「早い者勝ちだ!」

と言う状況でしたら、当然「GET!」に走らないとダメですよね。


心がポジティブなら、目の前の百万円札が目に飛び込んでくるんですが、

心がネガティブでしたら、高い崖からのぞく深い荒波の浪打しか目に入ってきません。


心が常にポジティブで、「幸せだらけだ!」って感じる人なら、

秒で動いて目の前の宝を奪取すればいいのですが、


逆に心が不安定で、何か恐ろしい事柄ばかりに囚われているのであれば、

秒で動くのは危険になります。(経験者は語る)

たいてい手にするのはスカ(はずれ)ばかり・・・。(悲)


心理として、

「どうしても幸せを手に入れたい」

「今、お金がないと困る」

と言う状態は、

「幸せでない」「お金がない」

と、自分で自分に言い聞かせているようなもの。


潜在意識はこの顕在意識の願いを聞き入れ

「幸せでない」「お金がない」状態を引き寄せてくれるわけです。



僕はこんな時、焦る心を少しでも落ち着かせ、

「今はポジティブかネガティブか?」を判断し、


ネガティブだと判断したら、たとえ目の前の情報が吉報だとしても

いったん横に置いて自分の考えを寝かせました。

どういうことかと言いますと、


「あなたの口座に百万円振り込みます」

と、厚生労働省から失業保険振り込みのお知らせが来たとします。

「幸せでない」「お金がない」状態ですと、即手続きに入ろうとしますよね。

なぜなら、幸せになりたい、お金が欲しい、と言う欲望があるから。


でも、冷静に判断すれば、失業保険が100万円入るとか、

勝手に振り込みます、なんて話はおかしいわけです。

だけど、頭で少し考えれば分かることですが、

脳は目の前の出来事しかインプットできない状態(これがネガティブの弊害)ですから

すぐに手を出してしまう。


苦しいときほど周囲が目に入らないんです。


失業した。

失恋した。

愛する人を失った。


これら不運と感じられる出来事が訪れた時、

人はなんとか

「早く就職しなければ」

「もう恋愛なんて二度とするものか」

「あの人がいないと生きていけない」

と、不安と恐怖のどん底に落とされてしまうものです。


こんな時こそ、一休み、ひとやすみ。


リアルに谷底に落ちたとして、

全身血だらけ、大けがを負ってしまうと、

立つことは出来ません。

地べたに這いつくばって息をするのがやっとのはず。


それが、失業だったり失恋して人生のどん底に突き落とされると、

心はグジュグジュに荒れ果てているのに、身体は動くものだから、

必死に立とうとする。


でもですよ、こんなときこそ、安静にする。

下手に動かない。


正直、動いても、手につかむものは折れた木切れだったり、

石ころだったりするものです。


失業しても失業保険がある。

失恋しても自分は生きている。

愛する人を失っても、人を愛する心は失っていない。


少しでも自分を落ち着かせ、再起の時を待つ。


時間とは時に残酷で、時に優しいものです。

一休みすることで、心の傷を癒やしてくれる

目に見えない薬なのです。




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幸せを感じさせないもの・・・、それは愚痴や恨みや嫉妬なのだ。

願いが叶わない・・・。

人生思い通りに行かない・・・。

なんかこう、行動と思いがチグハグだ・・・。


それ、すべて嫉妬や恨みなどのネガティブな感情が原因なんだって、気がついたのです。

いや、以前から「愚痴・妬み・嫉妬・恨み」などは「おやめなさい」と言うことは知っておりました。

でもそれは「意識」でのこと。

日常で愚痴などを言わないでいられたか?

そう問われると、

「・・・?」

と、口ごもってしまいます。


頭で理解はしていたものの、いざ実践となると、できていない。
(愚痴や妬みを消せていない、ってこと。)

まぁ、車の運転と一緒で、

「アクセルを踏むと発進し、ハンドルを右に切ると車体は右に曲がる」

ということを理解しているだけでは

「実際に車に乗って運転しても操作できない」

ということですね。


いくら引き寄せの法則を使っても思い通りの現実が目の前に現れない。

それはそうです。

誰かを恨み、

誰かを妬み、

誰かを嫉妬している、

だから、どんなに

「タワマンに住んで夜景を見下ろす光景」

なんかをイメージしても、

目の前に表れるのは、

「人を恨んだり妬んだりしなければならない現実。」


そう、心の底で誰かを恨んでいるから、

誰かを恨まなければいけない現実が訪れる。


誰かを妬んでいるから、

誰かを妬まなければならない現実が訪れる。


このマイナスの現実が

「叶えたい願いを遠ざける」

わけです。


人間の脳にはRAS(網様体賦活系:もうようたいふかつけい)という機能が備わっています。

脳は、目に見えるものすべての情報は取り込めません。取り入れようとするとパンクするしてしまうため、必要な情報しか取り入れないのです。
つまり、自分にとって有益な情報しか取り入れない。

たとえば、子供が生まれると分かった瞬間、街をあるけば何かと妊婦さんの姿が目に入ったり、

欲しい車が決まると、その車種ばかり目にするようになったり、

すなわちこれがRASの働きです。


だからこそ、何かしらの恨みや妬みを抱いていると、脳はその情報しか取り入れない。

テレビをつければ芸能人のゴシップがやたらと目に入ったり、

タワマンに住みたいと思っていても、

タワマンの悪い情報(家賃が高いとか、住んでいる人の悪口とか)などが入ってきて、

結局、願い事の真逆であるネガティブな面ばかりを受け入れてしまうわけです。


そして「なんで夢が叶わないんだ!」って、引き寄せの法則やらお守りやら神様やらを

再び、恨んだりするわけです。

で、幸せそうに見える人を妬まなければならない現実が

「目の前に表れてしまう・・・・」のです。



本末転倒とはこのことであります。


どうしても幸せになれない、感じられない・・・。


そう感じるのであれば、ちょっと心の中のネガティブな感情を見つけ出し、

いったん隅っこに置いてみるのも良いかもしれません。

(完全に無くそうと思っても、しんどいだけ。ちょこっと置いてみる。それだけで効果はあるかもしれません。)


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凝り固まった考え方に気づかないと、しんどい人生を送ってしまうかもしれない・・・。

人生は、凝り固まった考え方、すなわち「思い込み」で出来上がっている

と、言っても過言ではないかもしれません。



テレビで芸能人の二世タレントが出演している番組は多いですが、

人気のある二世タレントは、見ていて気持ちが良く、楽しさをも感じさせてくれます。

「自分は二世タレントだ!」っていう思い上がりのオーラではなく、

「自由にやろう」と言う、オープンな感覚があるからでしょうか。

それでいて謙虚で、真面目で、「親の七光り」を全く感じさせません。


逆に、すぐに人気が下火になる二世タレントは、この逆ですね。



生まれてこの方、親や兄弟、学校の先生、近所の人々、そしてテレビなどの情報媒体まで、

ありとあらゆる影響を受けて成長するのが私たち人間であります。

特に影響を受けるのが、直接関わり合いが絶大な「親」の存在。


僕なんかは親に
「頑張って勉強して、良い大学入って、一流企業に勤めなさい、それがおまえにとって一番の良い人生の送り方だ」
と聞かされて育ってきました。



僕はこの教えに「???」と、いつも悩まされていました。

中学生の頃、あまりに勉強しない僕に対して、親が取った行動があります。

それは食事の後、リビングでテレビを見ている僕に聞こえるように、

隣の部屋から夫婦でひそひそ話をすることです。

父「りゅうげつ庵は、勉強せん!将来悪い大人になる!」
母「もう、○○叔母さんは、りゅうげつ庵は、いけん子じゃ!って言いよる!」

父「困ったもんじゃ!これじゃあ、親戚から総スカンくらうで!」
母「できの悪い子を持ったら大変よ!」


こんな会話が毎日続くわけです。

僕の内面は当然、自己肯定から自己否定に変わっていきました。

まあ、当然と言えば当然ですよね、信頼したい親に毎日愚痴られたら、

嫌になりますよね。



でも、これとは逆に、毎日褒められ続け、また、失敗して叱られた時でも、

「おまえは勉強できんけれど、肝っ玉はでかいから、将来が楽しみだ!」

って、言われ続けたら・・・。



そう、これが「思い込み」「凝り固まった考え方」の出来始めではないでしょうか?


何事もうまくいかない・・・。

その原因のほとんどは、思い込みにあると思います。

頑張っても頑張っても報われない・・・。

それは、

「おまえは出来ない子供だ!勉強しなければならないのにしなかったおまえが悪い!」

と、過去に潜在意識に刻まれた痛い思いが、今の現実にブレーキをかけている。

頑張っても、頑張っても「ダメだ、ダメだ!」と誰かが、言っている。

それは親かもしれないし、学校の先生かもしれません。



これに気づいた僕は、今、過去の親の言動を許すことにしました。

だって、今まで恨んでばかりいたから・・・。

恨んでばかりいると、その恨みは自分に返ってくることを知ったから。


願いが叶わない、思い通りの人生を送れていない。

そんなときは心のブレーキにまずは気づかないといけない。

そしてそのブレーキの原因を知ったら、

少しずつ外していく。

その方法はただ一つ。


「許すこと」



どんな親でも、我が子かわいさで、愚痴ったり、怒ったりするのだと思います。

親がみんな、教育家でしっかり子育てに精通していれば良いのでしょうが、そうはゆきませんから。


より良い人生を送れるように大きく舵を切る。

それは内面で恨んでいる人や愚痴を言っている人に対して

許せる度量をもつこと、かもしれません・・。

難しいことではありますが、やってやれないことは、ない、と、

僕は思うのであります。



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この世は苦である。だからこそ、不安があって当たり前?!

お釈迦様はこうおっしゃいました。
「一切皆苦 いっさいかいく」
この世のすべて苦である。

そう、すべてが「苦」なんですね。

「おいおい、そんな切ないことを言わないでおくれ」
って声が聞こえそうですが、これが真理。

人間は、オギャーと生まれた瞬間から、息をすることを強いられるわけです。
それまで母体ですくすくと何不自由なく成長していた命。
それがこの世界に放り出された瞬間から、

息をしないと命が維持できない。
栄養を摂取しないと命が維持できない。
寝ないと命が維持できない。

生存ゲームの、始まり、始まり、ってわけです。

成長して歩き出したら、何か出っ張りにつまづいて転んで泣く。
おなかが減ったから、「お菓子ちょうだい!」ってお母さんに駄々をこねると、
「もう、甘えないのよ!まだあげる時間じゃないんだから!」って叱られる。

大なり小なり、人生は苦だらけ。

その「苦」を回避しようと頑張っているのが、脳の一部である、
扁桃体という部位なんですよ、実は・・・。

この扁桃体、身体や精神を守るため、常に快・不快を見張っているんです。
つまり、恐怖や痛み、ストレスに忠実に反応するんです。
まあ、不安恐れを素早く察知するのがこの扁桃体なんです。

じゃあ、なぜ、そんな不安や緊張を心や体に感じさせるか?って言うと、
感じさせることで危険から回避させるのが目的なんですね。

「えっ、それってダメなやつじゃないの~?」って声が聞こえてきそうですが、
でもね、これがないと人間、どこまででも突っ走ってしまうのですよ。

平気で高いビルから飛び降りちゃいますし、
動物園のライオンの檻に、何も考えずに、さっと手を入れてしまったりするわけです。

こんな危険を察知して痛い目に遭わないように促すのが扁桃体の役割。

なんでそんな機能が人間に備わっているかって言うと、

それは「我が身を守る」ため、なんですね、これが・・・。

人間、常に安全で安心できる環境を求める動物です。
だって、それが生き延びるために一番大切なことですから。

そのためには常に危険な存在を察知するアンテナが必要なんです。

実は、不安や恐怖、などのマイナスな一面が以外と身を守ってくれるんです。
だって、
いつも怒鳴っている上司は嫌でしょ、
檻の中のライオンは怖いでしょ、
転職して失敗したらと思うと不安でしょ、

精神や身体に異常をきたすかもしれない存在に対して、
ストレスを感じさせて、逃げるか立ち向かうかを考えさせるってわけです。

これが 「一切皆苦」に結びつくんです。

世の中、苦ばっかりなんですよ、実際問題。
物事はうまくいかないものなんです。
だからこそ、その苦をいかに回避して生き延びるか!
その役割をこの扁桃体が担っているわけです。

人間、肉体を有しているんです。
物にぶつかれば痛い。物がなかったら良いけれど、ありますよね。
人と意見が対立したら腹が立つ。みんな自分と同じ意見の持ち主だったら良いのですけれど、
みんな違いますよね。

その相違が苦を生み出している。

だから、
頑張って起業しても、失敗する確率の方が高い。

人に優しくしても、その優しさを逆手に取られてうまくこき使われたりしますよね。

何をするにも大なり小なり、壁が立ち塞がるのが人生。

その壁こそが「苦」であります。

この「苦」を「不安だ、どうしようか?」と慎重に捉えさせるのが、この扁桃体の役割。

まあ、壁があるから「苦」を感じるわけでありまして、

もし、この扁桃体の働きがなかったら、ドンキホーテ的な人生まっしぐらですから。

つまり、雨が降ろうが槍が降ろうがお構いなしの、ぐちゃぐちゃな人生ってことです。

その不安や恐怖を感じるからこそ、人生「一切皆苦」と言う現実を作り出しているわけです。

しかしですよ、何の不安も恐怖もない人生って「どうよ」ですよ。

この「苦」がなかったら、人生、まったく色もない、世界なんですよ。

そう、オモロないんです。

毎日朝起きたら食事があって、お風呂は誰かが身体を洗ってくれて、
日がな一日、窓の外を眺めながら夜を迎える・・・・。

なんだかどこかの施設のようですが、若い頃からこんな生活が楽しいか?
ってことです。

不安や恐怖が一定量あることでそこに生きがいが生まれてくるんです。

その不安や恐怖に駆られながらも、前に進んでいくしかないんです。

その不安を解消しつつ、目的に到達する醍醐味が人生にはあるんです。


受験も失敗して当たり前。

起業も就職も結婚も、失敗して当たり前。

そう、失敗して当たり前。なんですよ、何度もくりかえしますけれども・・・。

受験も、少しでもランクの高い大学に入学したいからこそ、狭き門にチャレンジするんでしょ?
(自分のレベルより低い、必ず合格する大学の方がいいですか?)

起業も、なんとか夢を叶えたいから自分の得意分野でチャレンジする。
だけどライバルは大勢でしょ。
(上司や会社の言いなりの雇われで終るんですか?それの方が楽ですけれども・・・。)

恋愛も、まったく赤の他人である異性の気を引かせるために全力を尽くすわけでしょ。
男も女も星の数ほどいるのに・・・。
(恋愛を諦めて風俗に行くんですか?フラれること恐れて独身を貫きますか?)

失敗して当たり前。

でも・・・、ですよ。

その当たり前の世界の中で、1つでも成功したらテンションあげあげ!になりませんか?

プロ野球選手の一流バッターでさえ、打率3割維持は難しいわけですよ。

毎年入ってくるプロ野球ドラフト一位の選手でさえ、ですよ、
必ず成功する、とは言い切れませんよね。
いや、そのうちの数%しかプロの世界に残れませんよね。

苦、なんですよ、苦。

だからこそ、どんなに痛い目にあっても
「ああ、もともと生まれたときから苦の世界に生存していたんだ」
と割り切った人間ほど強いんですよ。

俺の辞書には失敗の二文字はない!絶対に成功する!って、勘違いするから
失敗したときのギャップに苦しむんです。

何度も失敗して、その失敗を繰り返すほどに物事は上達するんです。

車の運転だってそうでしょ、最初からすいすい運転できる人なんて誰一人としていませんでしょ。

ぶつかりそうになってブレーキ踏んで、何度も何度も身体で覚えて、

感覚と言いましょうか、コツをつかんでいく・・・。


「あんときは失敗したけど、その失敗のおかげで成功が見えてきた」

って前向きになれたとき、

苦しかったことが逆に成功へ導いてくれたんだって、気づくことができるんです。

脳の扁桃体が出す、不安や恐怖信号に負けて前に進むのを諦めるか、
それとも、不安があって当たり前!これがあるからオモシロい!
と、冒険心まんまんで事に当たるか。

これで人生の味わい方、舵の取り方が大きく違ってくるのです。

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