今を楽しむ悠々ライフへようこそ

毎日の感謝を伝えるブログでございます。

感謝できるしあわせ
このブログでは、日々感じた感謝の気持ちを綴って参ります。
あんなこと、こんなこと、どうでもいいことでも、見方を変えれば感謝に変わる
今後もりゅうげつ庵ブログ「今を楽しむ悠々ライフ」をよろしくお願いいたします。


人生がうまくいかないときの考え方とは

今の現実を招いたのは、すべて自分の意識が作り上げたものなのだ。

こう言うと、必ず、

「いや、違う!俺は決してこんな不幸を望んだわけではない!」

と言う声が出てくる。

まあ、そう思うのも致(いた)し方あるまい。


だって、毎日頑張って働いて、精を出して家族サービスをして、

休日は接待ゴルフに明け暮れている。

「それはすべて家族のため、生きるため」

そんな心の叫びが聞こえてくる。



僕は潜在意識を勘違いしていた。

毎日良いことを行い、礼儀正しく、そして日々楽しく過ごしていたら

それが潜在意識に浸透して、素晴らしい人生にしてくれる

と・・・。


しかしながら、その考えは間違っていた。

自分を不幸に導くのは、自分自身の考え、

つまり、顕在意識だったのだ。



「自己催眠」と言うのがある。

「俺は出来る!俺は天才だ!」

そう自分に暗示をかけることで成功する、っていうやつ。


これ、実は他人や身内から間接的にかけられている。

たとえば親に、

「あんたは勉強したら出来るのに、しないからダメなのよ」

そう言われると、

「俺って勉強したら出来るけど、しないからダメなやつなんだ」

と、無意識に自己催眠をかけてしまう。

これが他者の影響をうけて、知らない間に自分にかけてしまう

「自己催眠」なのだ。


親が子供に対して否定的な言葉ばかりかけていると、

子供は「否定的な考え」を植え付けられてしまう。

そんな子供が成長して大人になると、

つい他人の言動に対して否定的な態度をとり、

ひどいときには「君はそう言うが、その考えは間違っている。」

と、ダメ出しをする大人が出来上がってしまう。


では、どのように軌道修正をかけるか。

それは、単純だが ちっと時間がかかる。


例え話をすれば、

車のアクセルとブレーキを考えて欲しい。

教習所では、アクセルは右にありブレーキは左にある。

右足で踏み分けなさい。

と、習った。
(ちなみに、アクセルは右足、ブレーキは左足、で踏み分けると、踏み間違いする可能性が高いと、僕は勝手に思っている)

それを、アクセルとブレーキの位置が逆についていると考えてみれば良い。
(実際にそんな車は存在しないが・・・。)

一度しみこんだ動作を、正反対の動作に教え込むのには時間と根気がいる。

人によって様々だが、時間が経てばなんとか心身に叩き込むことは出来る。

なんとかアクセルが左、ブレーキが右、と操作できるようになる。


車のアクセルとブレーキに喩えたが、

自分の人生を振り返ってみて、決して思い通りに行かず、悪い方向ばかりに向かっている、

と言う人は、ブレーキを踏みすぎなのだ。

今までブレーキを踏んでいたのを

アクセルに変えてみる。


つまり、

仕事で叱られて落ち込んだとする。

今までなら、

「けっ!偉そうにしやがって!無能上司が!」

と、腹は立つし、やる気も消沈する。

そのあげくに、ふてくされているとする。
(これがブレーキを踏むと言うこと。)

そんなとき、

「あっ!軌道修正しなきゃ!今まではふくれっ面していたが、今後は明るく振る舞おう!」
(これがアクセルを踏む、と言うこと。)

そうやって、マイナスに切っていた舵を、プラスに切り返す。


人生が上手に行っている人ほど、プラスに切り返すのが早い。

キムタクやサンドイッチマン、政界に至っては安倍総理など、

責任の重い地位にいる人ほど、不特定多数の人々に叩かれる。

人気があるということは、何も

「凄いね!」「さすがだね!」「かっこいいね!」

という絶賛の声ばかりではない。

それと同じか、それ以上に嫉妬や妬み、そして足の引っ張りにあっている。

人間、誰しも心は弱いもの。

有名人が鉄の心臓をもっているわけではない。

ただ、さらっと悪評・悪口をかわし、

マイナスをプラスに切り替えることに長けているだけなのだ。

言ってみれば、スピードを上げたいときに自然にアクセルを踏んでいる。


逆に、人生がどん底の人ほど、ブレーキを踏みっぱなしにしている。

ちょっとしたことで相手の言動に腹を立て、

ほんの些細なことで疑心暗鬼になる。



だけど、人間の心も鍛えることはできる。

そう、身体を鍛えるように、心もしっかりとトレーニングをする。

人は叩かれて成長する生き物なのだ。

成長すればするほど、遠くを見渡すことが出来るようになる。
(ひまわりだって、暑いさなかに背丈をのばすから、高いところから下界を見渡せるのだ。
暑いからって、挫けていたら、枯れてしまうだけ。)

だから、叩かれて挫ける必要は無い(どうしてもその時はへこむけどね。)。


嫌なことがあったり、気の合わない相手と組んだり、どうしても逃げ出したいとき、

そんなとき、

今の境遇を恨むでもなく、凛とした態度が取れるようになったら

人生、勝ったも同然!


その爽快感を味わうために、

とにかくマイナスな事が起こったら、

プラスに舵を切る。


ほんのちょっと考え方をプラスにするだけで良い。

プラスに切り替えるのに時間は掛かるが、

ルーティン化できたらもう、人生が楽しくなること間違いない。

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無意識と意識の関係を考える

いつの頃だろう、そう、物心がついた頃、

まだ幼かった頃の思い出・・・。



空を見上げれば大きな綿菓子のような雲が浮かんでいて、

その雲を掴もうと、屋根裏に上って一生懸命ジャンプしては

藁(わら)を積み上げた藁布団の上に落っこちていた。

本気で雲を掴めると思っていた。(つかめそうだもの、曇って・・・。)



ある日テレビをつけると、チャンバラ映画をやっていた。

主人公の侍が大勢の悪党どもをバッタバッタと切り倒していた。

僕はテレビを見ながら、

「僕なら一人で主人公のお侍さんをやっつけることが出来るのに」と、

本気で思っていた。(悪党を応援していたのね、僕って。)



お絵かきをすれば、ゴッホ顔負けの絵を描いた。(自分で勝手に思っていただけです。)

歌を唄わせれば歌のお兄さんのように上手に歌えた。(子供に音程はわかりませんからね。)

いつでも元気に遊んでいた。(そう、元気だけは人一倍あったようです。)


そう、自分は何でも出来ると思っていた。



それが、、、いつからだろう、出来ると思っていたことが

だんだんと出来なくなっていった、、、。



雲を掴もうと屋根裏に上ると、

「危ないからおよしなさい!」

って叱られる。


チャンバラ映画を真似ておもちゃの刀を振り回すと、

「なんじゃ、その腰つきは!それじゃぁ全然相手を切れんぞ!」

と笑われる。


お絵かきしていたら、

「このお花の色、ちょっとおかしいよ、もっと赤いでしょ?」

と、訂正させられる。


音楽の時間、歌をみんなの前で歌う授業で、緊張しながら歌うと、

「う~ん、、ちょっとねぇ、、、。はい、次の人!」

と、軽く先生にあしらわれる。



意識、つまり自我は、親や他人を通して造られていく。



潜在意識を説明しようとすると、潜在意識と顕在意識は

水と油のような間柄だから、意識で説明がつかない。


だけど分かりかけてきたのが、喩えるなら

「親と子の間柄ではないか?」

と、いうこと。



以前は、「意識」が子供で、「潜在意識(無意識)」が親である、と思っていた。



これ、今になってわかったのだが、実は真逆で、

潜在意識(無意識)が「子供」で、

意識の方が「親」であった。



子供の頃の潜在意識(無意識)にはとてつもなく凄い伸びしろがある。

よく「天才ジュニア」なる子供たちがテレビに登場するが、

これは意識である「親」が上手に子供の潜在意識すなわち、

才能を認めてあげているからこそ、天才と呼ばれる子供に成長する。



実は、親の方が子供よりも偉い!と世間が考えているのは間違いで、

本当は子供の方が偉い!と、なる。(意識で説明すれば、です。)


よく、子供に親は学ぶ、とか、子育をしていたら色々と勉強になった、

という話を聞くが、子供は親の気づかない欠点や間違った感情を是正してくれる

素晴らしいお手本でもある。


ところが、そのことに理解を示さない親(大人)の方が多い。


「そりゃそうでしょ、親の方が先に生まれて偉いんだから!」

と、偉そぶる。



その理由は、こうだ。

人は大人になるにつれ様々な経験をする。

その経験が、自分の能力を半ば決めつけてしまって、

意識的にしか物事を判断しなくなる。

つまり、「勝ち・負け」、「偉い・バカ」、「正しい・間違い」

という二択で物事を考えるようになる。

その結果、

「親が子供を育てるのだから偉いに決まっている」

と、結論づける。



その反面、幼少の子供はまだまだ自由な存在で、好き勝手なことをする。

いや、好き勝手なことをする能力に長けている、と言った方が良い。


そんな子供を見て、なんとか我が子を自分の思い通りにしょうと

躾やら勉強を押しつけると、子供の自由度はドンドン下がっていく。



意識的な親と、

無意識(潜在意識)的な子供。



仲の良い親子ほど、子供の自由さを楽しんでいる。

逆に、子供を我に従わそうとする親ほど、子供の自由を阻止することに力を注ぐ。



無意識(潜在意識)の力を味方につけたいのなら、

自由奔放な子供イメージしてみると面白い。



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潜在意識(無意識)と顕在意識(自分の意識、考え方)の間にある意識とは?


ジークムント・フロイトは「局所論」を唱えました。

これは。心の構造を大きく三つに分けたものです。



まず、 意 識 (自分の体験や経験から考え出される意識。つまり自己の考え方。)があり、


次に、 前 意 識 (普段は意識することはないが、思い出そうとすれば出てくる意識。)


そして、 無 意 識 (潜在的に存在する意識。本人に自覚はないが、人の生命・行動を司る意識。)


この三つです。


よく、

「潜在意識を書き換える方法!」ですとか、

「潜在意識に頼めば望みは叶う!」など、

今では「潜在意識コーチング」を名乗られる方もいらっしゃるほど、

この潜在意識つまり「無意識」はポピュラーになりました。


だけど、僕はどうしても潜在意識を味方につけることが出来ませんでした。

これでも僕は、二十代の後半から「マーフィーの法則」などの書物を読み、

なんとかこの無意識、潜在意識を上手に扱えないものかと四苦八苦いたしました。


ところが、僕自身どうやっても、うまくいきません。

若い頃、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という書籍のCDを購入して

学んだものの、ちっとも現実は思い通りにならない・・・。



ところが、色々と調べていくうちに分かったことがあります。

それが、潜在意識と顕在意識の間に存在する

「前意識」であります。



この前意識が人生態度を語る上で重要ポイントだったのです。


この「前意識」を人間の器官に喩えますと、

ちょうど歯や喉の部分に当たります。


人間、食事をしないことには生きていけません。


肉・野菜・お菓子などなど、ありとあらゆるものを食しますが、

そのたびに歯や喉にカスが溜まります。

これを掃除しないで放っておくと、虫歯になったり、喉に炎症を起こして

栄養が体中に回りにくくなり、体調不良を訴えることになります。


これと同じ事が顕在意識と潜在意識の間にも起こるわけです。



日々、私たちは人と接して生きています。

その過程において、嫌なことや、楽しいこと、様々な経験をします。

ところが、嫌なことや苦しいこと、痛いことなどと遭遇すると、

その記憶がカスとなって、顕在意識と潜在意識の間に残る場合があります。


この過程は、人間が食事をする時に例えますと良く分かります。

人間が口に入れた食べ物は、いったん口でかみ砕かれます。

つまり、一定時間、口に留まるわけです。

その後、喉を通って食道に流れ、胃に落とされ体内に吸収されてゆきます。


これと同じように、顕在意識で考えて受け入れた出来事は、

前意識に一定期間残り、その後、潜在意識に落とされます。

このときに嫌なことや苦しいと感じた特殊な感情などが前意識に残ってしまうわけです。


例えるなら、魚の骨が喉元に刺さった感じでしょうか?


これが大きいとトラウマとなり、

小さければ生活には支障はないのですが、

小さいとは言え、これが多く溜まると虫歯や喉の炎症につながるように、

生きていく上で支障になりかねないわけです。


潜在意識を書き換える!という方法は、

実は潜在意識そのものを書き換えるのではなく、

この「前意識」を綺麗に掃除して、本当の潜在意識の力を得ることが出来るように

「顕在意識を改善する」ということです。


だって、潜在意識って本当に凄いんですから・・・。


そんな凄い潜在意識と顕在意識のお話を少しずつ、

僕の経験を交えてお話ししてまいります。


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悩めることは良いことだ? だって、選択肢があるのだから・・・。

人間、生きていると様々な悩みが湧き出てくるものです。

お金の問題やら、対人関係、子供や親兄弟などなど。

僕も、幼い頃から悩みの種の尽きない人間の一人でした。


まあ、考えすぎるからこそ

「悩みの種が芽を出す」

のですね。



癖になっていたんでしょうね、

「悩まないと悩みが解決しない!」って

頭のどこかで思っておりました。


悩みの元を辿っていきますと、

自分の「自我」に辿り着くんですね。



幼い頃、二等分されたケーキを

「お兄ちゃんの方が大きい!」

「いや、お前の方が大きい!」

って、ケンカしたのも、

「自分がより多くの物を得たい」

という欲望が原因。


人間関係にせよ、お金の問題にせよ、

またまた、政治の世界の権力争いにせよ、

元を正せば、この

「自分がより多くの物を得たい」

という欲望が根っこにある・・・、わけです。



この「物」が結構重要でありまして、

人によっては

「恋愛の相手」であったり

「より多くのお金」であったりするわけです。



子供の頃のケーキの話ですが、

結局、大きい方を取るか取らないかは自分が選択できるんです。

と、申しましょうか、

「取る取らないを選択せざるを得ない・・・。」


ここがポイントです。


強いお兄ちゃんに打ち勝って強引に大きい方を手に入れることも出来るし、

口で言い負かして手に入れることも出来る。

はたまた、泣いて駄々をこねるという事も出来る。

諦めて嫌々手を引くことも出来るんです。


つまり、どんな出来事が起ころうと、

「どうするかの選択は、自分自身が決断を下している。」

っていうこと。



で、「決断を下せる」

っていうことは、

「決断を下せる状況にある」

っていうことにもなります。


怖い話になりますが、

いきなり頭に銃を突きつけられて引き金を引かれたら・・・。

逃げるとか、死にたい・生きたいとか、

死ぬまでに食べたかったお寿司を食べたいとか、

そういう選択肢は無いわけです。


それらを考えますと、

「就職が決まらない・・・。」

「素敵な恋愛の相手が見つからない・・・。」

「上司がパワハラばかりで退職したい・・・。」

などなど、これらの悩みを突き詰めたら、

「どうするか」という選択するまでの時間はあるのです。


就職が決まらなかったら
アルバイトで食いつなぐ。失業保険をもらう。ニートになる。などなど。


恋愛の相手が見つからなかったら
恋愛相談所に通う。ナンパする。友達に片っ端から紹介してもらう。などなど。

上司が嫌なら、
会社を辞める。部署異動を申し出る。上司とケンカする。などなど。



人間、悩めば悩むほどに選択肢が無いように思い込んでしまうものですが、

いやいや、逆に多くの選択肢があるものです。

でも、一番厄介なのが、

「その選択を怖がっている自分がいる」

という「恐れ」が問題なんですね。


まあ、ベストな選択をしたいからこそ悩みは尽きない・・・。


そう、悩みは尽きないのだけれど・・・。

いくら大きい方のケーキを逃したところで、

明日の、そして明後日のおやつの時間は来る。


悩みをひとつの「選択ゲーム」と捉えて、

気軽に取り組めるようになるとまた、

人生に味わいが出る、そのように思います。







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生き急がない!一休み、ひとやすみ・・・。

僕は「待つこと」が大の苦手。

これは幼い頃、散々耐え忍んだから、だと大人になって理解しました。

「ん?じゃあ、耐え忍んだから待てるんじゃないの?」

って声が聞こえてきそうですが、

実は、耐え忍んでも耐え忍んでも

良い方向へと人生が向かわなかったから「待てない」んです。


幼い頃に母と別れて以来、ず~と母と出逢える日を待ち望んでおりました。

しかしそれは小学校高学年のころに「叶わぬ夢」と化したのです。
(大人の事情を知ったわけです)

それが原因かどうかは定かではありませんが、僕の心のどこかに

「頑張って耐えても無駄」

「耐えたところで思いは叶わない」

という刷り込みが生じてしまったのです。


よく「思い立ったら即動け!」と促される自己啓発があります。

あれは正直言って「心がポジティブなとき」にしか効果はありません。


まあ、心がどん底に落ち込んで、高い崖の上に立って

今にも飛び降りようとしている人に対して

「即動け!」と促すのは・・・・。

言わずとも分かると思います。


逆に、目の前に百万円の札束があって、「早い者勝ちだ!」

と言う状況でしたら、当然「GET!」に走らないとダメですよね。


心がポジティブなら、目の前の百万円札が目に飛び込んでくるんですが、

心がネガティブでしたら、高い崖からのぞく深い荒波の浪打しか目に入ってきません。


心が常にポジティブで、「幸せだらけだ!」って感じる人なら、

秒で動いて目の前の宝を奪取すればいいのですが、


逆に心が不安定で、何か恐ろしい事柄ばかりに囚われているのであれば、

秒で動くのは危険になります。(経験者は語る)

たいてい手にするのはスカ(はずれ)ばかり・・・。(悲)


心理として、

「どうしても幸せを手に入れたい」

「今、お金がないと困る」

と言う状態は、

「幸せでない」「お金がない」

と、自分で自分に言い聞かせているようなもの。


潜在意識はこの顕在意識の願いを聞き入れ

「幸せでない」「お金がない」状態を引き寄せてくれるわけです。



僕はこんな時、焦る心を少しでも落ち着かせ、

「今はポジティブかネガティブか?」を判断し、


ネガティブだと判断したら、たとえ目の前の情報が吉報だとしても

いったん横に置いて自分の考えを寝かせました。

どういうことかと言いますと、


「あなたの口座に百万円振り込みます」

と、厚生労働省から失業保険振り込みのお知らせが来たとします。

「幸せでない」「お金がない」状態ですと、即手続きに入ろうとしますよね。

なぜなら、幸せになりたい、お金が欲しい、と言う欲望があるから。


でも、冷静に判断すれば、失業保険が100万円入るとか、

勝手に振り込みます、なんて話はおかしいわけです。

だけど、頭で少し考えれば分かることですが、

脳は目の前の出来事しかインプットできない状態(これがネガティブの弊害)ですから

すぐに手を出してしまう。


苦しいときほど周囲が目に入らないんです。


失業した。

失恋した。

愛する人を失った。


これら不運と感じられる出来事が訪れた時、

人はなんとか

「早く就職しなければ」

「もう恋愛なんて二度とするものか」

「あの人がいないと生きていけない」

と、不安と恐怖のどん底に落とされてしまうものです。


こんな時こそ、一休み、ひとやすみ。


リアルに谷底に落ちたとして、

全身血だらけ、大けがを負ってしまうと、

立つことは出来ません。

地べたに這いつくばって息をするのがやっとのはず。


それが、失業だったり失恋して人生のどん底に突き落とされると、

心はグジュグジュに荒れ果てているのに、身体は動くものだから、

必死に立とうとする。


でもですよ、こんなときこそ、安静にする。

下手に動かない。


正直、動いても、手につかむものは折れた木切れだったり、

石ころだったりするものです。


失業しても失業保険がある。

失恋しても自分は生きている。

愛する人を失っても、人を愛する心は失っていない。


少しでも自分を落ち着かせ、再起の時を待つ。


時間とは時に残酷で、時に優しいものです。

一休みすることで、心の傷を癒やしてくれる

目に見えない薬なのです。




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