この世界に意味は無い。でも、この世界に意味をつけるのは自分自身じゃないのかなぁ

よく、成功した人が言う言葉に

「あの頃の自分がいたからこそ今の自分がいる。だから人生の意味を考えなさい」

と言うのがあります。

まあ、よく聞く「人生の意味とは」という言葉です。


その昔、人類が誕生する何万年、何千年前、いや、それ以上前の事を想像しますに、

人生に対して「意味を持つ」なと考える生物は存在し得なかったと考えるのです。

だって、恐竜や昆虫、植物、鉱物に至るまで、

「なんで生きているのだろう」

な~んて考えることはあり得ませんから。

ただ生まれ、食べ、排泄し、セックスをし、子孫を残し滅していく。

これが動物。

その動物の中で人間だけが、意味のある生活、意味のある行動、意味のある発言、

などと言い始めたと僕は思うのです。



般若心経の「色即是空(しきそくぜくう)」をひもときますと、

この世のすべては実態がない、ということに尽きます。

色、すなわちこの世に存在するすべての形ある物質やら性質やらのことを指し、

空、すなわちそれらはすべて実態のないものです、ということです。


この世のすべての生き物は、生まれて死ぬを繰り返すだけ。

そんな生き物を見ていた人間だけが知恵を働かせて、

「生きる意味を見つけないといけない」

と考えだし、武士道精神であるとか躾とか、道徳などを生み出したのだと

僕は思うのです。


実際、無色透明、空である世界に色をつけたのは人間。

そのおかげで、やれ世間体がどうだの、我が家の恥だの、故郷に錦を飾るだの

そう言った概念と申しましょうか、理屈が生み出されたのではないでしょうか。


まあ、人間と言う生き物、なまじっか知恵があるばかりに、色々と頭をひねって

自分の都合のよい方向性を導き出すのが得意になったのだと思えます。


そんな「空」の世界にいるのに、親や他人、先生なんかが

勝手に色をつけてあれこれ言う。

たとえば

「なぜ、叱られたかその意味を考えなさい」

「なぜ、生きているのか、その意味を考えなさい」

「なぜ、勉強しなければならないか、その意味を考えなさい」

などなど。

でもね、

そんな他人に塗られた色に振り回されるくらいなら、

自分が勝手に色を決めて、自分を染める。


そんな自分勝手も許されるんじゃないか、って

最近思うようになりました。


いや、世間が勝手につけた色、すなわちイメージに従うより、

「自分の色はこの色なんだ」と、自分で決めた色で生きてみる。

それもまた面白い生き方なのかもしれません。


だって、戦争当時の概念と、今の概念。

そして江戸時代の概念とこの10年先の概念は同じではないから。

戦争時は徴兵されて戦地に赴くのが当たり前という概念があり、

昔の農家の息子は勉強より農家の手伝いの方が当たり前という概念がありました。

これらに逆らったら、強く反発をうけること間違いなし、の時代。


今は?というと、勉強して優良企業に就職して・・・。


こんな時代に色をつける、

それは自分自身の生き方に意味を見いだすこと。

それは他人ではない、自分自身が見つける、色。


自分で納得のいくまで色をつけ続ける。

それが意味づけ。

たとえ過去にどんな失敗や苦しみがあったとしても、

「今こうして生きていられるのはあの頃の自分があったからだ」

そうやって良い方に意味をつけてあげる。

たとえ他人やら親やらがどうこう言おうが、

「あのとき暴れたけれど、それが人との絆を深める良いきっかけになった。」

そう自分自身が心底思えれば、今が光輝いてくる。


この世界に意味は無い。

ただ地球は太陽の周りを回り、月は地球の周りを回っているだけ。

その地球に僕らは存在している。それだけが真実。

だからこそ、その地球で生きるために、

自分で色をつける。

そう、自分好みの服装を着飾るように。

それが「意味づけ」

と、僕は思うのであります。



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